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業界

DX 時代の業界課題に向き合う――医薬品部会、SAP ジャパン、日本マイクロソフトのキーマンが徹底議論

登壇者4名の集合写真

さまざまな産業においてデジタル変革が進むいま、ヘルスケア業界も例外ではありません。同業界はデジタル化にあたって、GxP を含むガイドラインへの対応とバリデーション手法が、業界特有の共通課題として浮上しています。事業運営に欠かせない基幹システムのプラットフォームとして広く採用されている「SAP ERP」は、2025 年にメインストリーム保守が終了します*)。「SAP S/4HANA」への移行を含む「モダナイゼーション」を、いかに成し遂げていけばよいのか――。JSUG 医薬品部会の部会長を務める橋本昌明氏、SAP ジャパン株式会社の稲葉紀子氏、日本マイクロソフト株式会社の清水教弘、池本仁に話を聞きました。

 

SAPジャパンから保守延長の方針が発表されています。(リンク

 

日本の製薬会社における SAP ERPの採用率はほぼ 100 %

 

――ジャパン SAP ユーザーグループ (略称、JSUG) の医薬品部会の活動内容を教えてください。

 

橋本氏 医薬品企業は、ひとの生命にかかわる企業として各種規制の順守、滞りのない製品供給が責務です。それゆえ、基幹システムに対しても高いレベルでの信頼性・透明性が求められる、失敗の許されない分野です。

 

医薬品部会はグローバル展開している日本の大手製薬会社、国内事業を中心とした中堅製薬会社、外資系製薬会社の日本法人などで構成され、業界固有のトピックや業務要件を中心に、情報の共有と会員相互の交流、研さんを図ることを目的に活動しています。それぞれの目的や課題はさまざまですが、日本でビジネスをする共通目標のもとでテーマを選定して議論しています。フェイス・ツー・フェイスでの部会に加え、コミュニティ サイトを介した情報交換へも活動領域を広げています。

 

ジャパン SAP ユーザーグループの橋本昌明さんの写真

ジャパン SAP ユーザーグループ (JSUG)
医薬品部会 部会長
橋本 昌明 氏

 

――日本の医薬品業界における ERP として、 SAP ERPの浸透度合いはいかがですか。

 

橋本氏 日本の製薬会社における SAP ERPの採用率はほぼ 100 % といってもよいでしょう。元来、業界の業務自体が法規制対応のために標準化されており、ERP になじみやすい土台がありました。

 

SAP ERPには、世界標準の ERP としての歴史があります。現在、日本市場で事業を展開している製薬会社は、医薬品卸との間で発生する受発注データを、「医薬品業界データ交換システム (JD – NET)」というシステムでやりとりしています。JSUG が設立された 20 数年前から医薬品部会は SAP ジャパンの協力を得て、この JD – NET に対応したローカル アプリケーション (接続オプション) を開発してきた経緯があります。この仕組みができたことも、日本の多くの製薬会社が SAP ERPを採用するきっかけとなりました。

 

稲葉氏 医薬品業界は日本のみならず、世界を見渡しても SAP ERPの採用率が非常に高い業界です。早くからグローバル化が進むとともに、業界再編や M & A も多く、国ごとの厳しい法規制の課題に応えられる基幹業務のプラットフォームとして、多くの製薬会社で利用されてきました。

 

SAP ジャパンの稲葉さんの写真

SAP ジャパン株式会社
デジタルコアクラウド事業本部
第三営業部 部長
稲葉 紀子 氏

 

――今、多くの業界ではレガシー化した ERP をどうモダナイゼーション (近代化) するかが課題です。医薬品業界での取り組みを教えてください。

 

橋本氏 2012 年に発表された SAP の保守方針により、SAP ERP (ECC 6.0) のメインストリーム メンテナンスの期間内は、先に述べた JD – NET 接続オプションについても動作が保証されましたが、医薬品部会では 2012 年から SAP ERPのモダナイゼーションに向けたロードマップを検討してきました。

 

池本 実際、SAP ERP を SAP S/4HANA にアップグレードし、さらにその基盤をオンプレミスからパブリック クラウドに移行するといったプロジェクトの立ち上がりは、他の製造業と比べても医薬品業界の動きは圧倒的に速いといえます。

 

日本マイクロソフトの池本さんの写真

日本マイクロソフト株式会社
クラウド&ソリューション事業本部
インテリジェントクラウド第二統括本部
Azure 第五営業本部
SAP Specialist
池本 仁

 

GxP を満たしたパブリック クラウドをどう評価するか

 

――SAP ERPのモダナイゼーションを進めていく上で、どのような課題がありますか。

 

清水 医薬品業界の業務システムは「GxP (Good × Practice)」と総称される数々の厳しい法規制を満たさなければなりません。しかし、「パブリック クラウドを活用したい」という機運は高まっていますが、パブリック クラウド上でのバリデーション含めてまだまだ前例が少ないことも事実であり、医薬品業界にとってまさに会社を超えてクラウド上でのバリデーション (評価) をどうしていくのかという課題を解決していく変革期だと捉えています。

 

橋本氏 医薬品部会の中でも GxP の要件を満たしたパブリック クラウドのバリデーション手法に注目が集まっています。すでにさまざまな部門の業務でパブリック クラウドは使われています。しかし、SAP ERPのような大規模かつ重要な基幹システムをパブリック クラウドに移行するのは、大きなチャレンジであり、失敗は許されません。

 

日本マイクロソフトの清水さんの写真

日本マイクロソフト株式会社
医療・製薬営業統括本部
事業開発担当部長
清水 教弘

 

――課題を解決するためにどのような方策がありますか。

 

橋本氏 最終的には各企業の責任の下でバリデーションをすることになります。そのためにはできるかぎり多くの正確な情報を集めることが欠かせません。医薬品部会のほか、さまざまなパートナー企業とオープンな場で情報を交換・共有していくことが、特に今の段階では重要と考えています。

 

2018 年 7 月に医薬品部会の会合に日本マイクロソフトをはじめ主要なクラウドベンダーに参加していただき、ひざを突き合わせて学ぶ機会をもてたのは、非常に意義のある取り組みでした。これがきっかけとなってメンバー企業の間に、パブリック クラウドの選択肢の 1 つとして Microsoft Azure (以下、Azure) に対する認識も広がりました。2019 年 11 月には医薬品部会メンバーがシアトルのマイクロソフト本社を訪問し、クラウドの専門家から最新の技術動向やバリデーション対応などを学ぶ機会に恵まれ、その知見は部会の報告会などで共有を図っています。日本マイクロソフト自身が SAP ERPのビッグ ユーザーとして取り組んでいる Azure 移行プロジェクトの成果も伺うことができ、貴重な情報となっています。部会レベルでベンダーとこのような取り組みを実施したのは初めてのことです。

 

 

マイクロソフト自身も SAP ERPユーザーであり、知見を提供できる

 

――マイクロソフトの Azure 移行プロジェクトとは、具体的にはどのようなものですか。

 

池本 マイクロソフトが 1997 年に構築し、オンプレミスで運用を続けてきた SAP ERP をベースとする基幹システムは、データベースのサイズでいうと 17 TB (非圧縮に戻すと 50 TB 以上) に達する巨大なものです。これをまず「リフト & シフト」の考え方で、そのまま Azure に持っていきました。これによりインフラを含めた約 17 % の運用コストを削減することができました。

 

ただ、20 年以上にわたり増築を重ねてきたシステムだけに、さまざまな弊害も顕在化していました。そこで Azure への移行を終えたあと、現在はシステム全体を SAP S/4HANA に最適化した形にモダナイゼーションしようと取り組んでいます。構築方法も従来のようなウォーターフォールではなくアジャイル開発の手法を取り入れ、早いサイクルでプロトタイプを作ってエンド ユーザー部門の意見や評価をフィードバックしながら改善を進めています。
また、SAP S/4HANA で処理するデータとそのほかのデータを Azure 上のデータレイクに集めて分析する基盤も作りました。Azure のデータ レイクに格納することで、ますます増えていくビッグ データの蓄積が可能になるだけでなく、機械学習による自律的な分析や Power BI によるダッシュボード分析など、Azure PaaS / Office 365 とのシームレスな連携により、データを経営や業務に活用するデータ ドリブン経営の実現に寄与することができます。

 

自社で基幹システムとして運用している SAP ERP を「SAP S/4HANA + Azure」でモダナイゼーションすることで得られた知見は、Azure のサービスの改善や、お客様の支援においても価値を提供できると考えています。

 

医薬品業界の新たな選択肢として STE を提案

 

――医薬品業界の中でもグローバル拠点をカバーするサプライチェーン、財務・会計などの基幹業務システムを、「SAP S/4HANA + Azure」で全面刷新する動きが起こっているという話も伺いました。手探りの中でも、着実に事例は増えているのですね。

 

橋本氏 着実に増えてきました。ただし、ユーザー企業が単独で SAP ERPのモダナイゼーションを成し遂げるのは困難です。やはり SI パートナーとクラウドベンダー、さらに必要に応じてバリデーションのノウハウをもったコンサルティング会社の協力を得ながらプロジェクトを進めていくというのが、現実的なアプローチであることは間違いありません。

 

稲葉氏 幸いなことに SAP ERPに関して、さまざまな専門性やノウハウを持ち寄って役割分担のできるSAPのパートナー様を中心としたエコシステムは、かなり確立されています。しかしながら、現在の課題は人材です。たとえばバリデーションをリードできるようなコンサルタントが不足しています。SAP ERPの問題のみならず「2025 年の崖」が叫ばれ、あらゆる業界の企業がデジタルトランスフォーメーション (DX) を見据えたシステムのモダナイゼーションに向かう中で、そうした人材はますます枯渇していくことが予想されます。

 

清水 その観点からぜひ訴求していきたいのが、SAP S/4HANA をシングルテナント環境の SaaS として利用できる「SAP S/4HANA Cloud, single tenant edition」 (以下、STE) です。インフラに Azure 、その上で必要なマネージド サービスを SAP が提供しており、ある程度のバリデーションもそこで担保できれば、医薬品業界に新たな選択肢を提示できるのではないでしょうか。

 

アジアで初となる STE の導入を決定したのは参天製薬様です。基幹システムをシングルテナント・ワンインスタンスで運用することを前提とし、グローバルのあらゆる取引情報を統合することで経営判断の迅速化とガバナンス強化を目指すもので、2020 年から実装をスタートしています。なお、このクラウド基盤にも Azure が採用され、ミッション クリティカルな基幹システムの性能・可用性・セキュリティの要件を満たしています。

稲葉氏 SAP ジャパンとしても特にパブリック クラウド上で ERP を全面的に刷新するお客様に対して、STE を提案しています。

STE では SAP 自身が事前の検証と確立された方法論によりバージョンアップを実施するため、お客様は常にテクノロジーの進化の価値を享受しつつ、コア領域により多くのリソース配分や投資を行うことが可能です。SAP 社は現在グローバルで「Microsoft Azure」を優先パブリック クラウドと位置づけ、SAP ソリューションのプラットフォームとして利用する提携を Microsoft と結んでいます。この提携により STE に加えて STE の拡張に利用できる PaaS である「SAP Cloud Platform」を Azure 上で展開していきます。

 

――STE という新たな選択肢の提案がありましたが、医薬品部会のメンバー企業からはどのような反応が予想されますか。

 

橋本氏 これまではパブリック クラウド利用のハードルが高い状況でしたが、ようやく IaaS への理解が広がりつつあります。先行して取り組んだ企業の事例が課題を含め共有されることで、各社のクラウド選択に好循環が起こることが期待されます。既存の SAP ERP の単なるアップグレードやマイグレーションにとどまらず、新しい価値を生み出す源泉となるモダナイゼーションを実践し、その取り組みに社内のリソースを集中したいと考えるメンバー企業は多いのです。医薬品部会は、クラウドパートナーとの継続的な意見交換により、ユーザー各社がクラウドの真の価値を享受できる様、活動して行きたいと思います。

 

――医薬品業界が向かうべきモダナイゼーションの方向性が見えてきたように思います。皆さま、本日は示唆に富むお話をありがとうございました。

 

 

※参加者の部署名・肩書・製品名等は2019年12月時点のものです。