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業界

医療データの共通基盤づくりに挑む―佳境を迎えた ePath プロジェクトが医療の質向上に示す可能性

ePathプロジェクト発表の模様

 

医療の質の均てん化や品質向上は、医療界における長年の課題です。この課題を解決すべく、クリニカルパスの考え方や仕組みを活用して、電子カルテシステムから臨床データ、中でもプロセスデータを効率よく収集し、これを解析する基盤を整えるプロジェクトが進行しています。日本医療情報学会 (JAMI) と日本クリニカルパス学会 (JSCP) の合同委員会が進める「クリニカルパス標準データモデルの開発および利活用(略称 : ePath プロジェクト)」について、 2020 年 1 月 17 ~ 18 日にかけて熊本市で開催された「第 20 回日本クリニカルパス学会学術集会」に参加された、同プロジェクトを実質的に動かしているメンバーの皆さまにお話を伺いました。

原点は「よりよいプロセスが、よりよいアウトカムを生む」という考え方

「クリニカルパス標準データモデルの開発および利活用」(略称、ePath プロジェクト) の実証は、済生会熊本病院、九州大学病院、四国がんセンター、NTT東日本関東病院の 4 つの医療機関による連携をもとに進められています。きっかけとなったのは、2015 年から始まった日本医療情報学会 (JAMI) と日本クリニカルパス学会 (JSCP) の合同委員会による議論です。診療の基本単位をアウトカム・アセスメント ・ タスク (OATユニット) という構成で示す概念を整理し、そこで求められる記録の在り方 ・ 入力の形式 ・ アウトカム用語のマスター化 (Basic Outcome Master: BOM)、バリアンス分析手法の検討、可視化などに取り組みました。さらに、BOM の普及など一定の成果を生み出してきました。

この一連の活動が認められ、国立研究開発法人日本医療研究開発機構( Japan Agency for Medical Research and Development: AMED)の「平成 30 年度 標準的医療情報収集システム開発・利活用研究事業」に採択され、2018 年 10 月 1 日に正式プロジェクトとして発足し、2021 年 3 月 31 日までの 2年半にわたり、電子カルテベンダー・医療機関を超えて広く利活用が可能なクリニカルパス機能の開発と、その機能が医療安全の向上や診療行為の効率化へ確実に繋がることを示すことを目標としています。

ePath プロジェクトの研究開発代表者を務める済生会熊本病院の副島 秀久氏は、「活動の原点にあるのは、『よりよいプロセスが、よりよいアウトカムを生む』という考え方です。電子カルテから、特にプロセスデータを含む臨床データを効率よく収集し、それらのビッグデータを解析することで医療サービスの品質向上に役立てることを目指しています」と、プロジェクトの目標を示します。

社会福祉法人恩賜財団済生会熊本病院 名誉院長 一般社団法人 日本クリニカルパス学会 理事長 副島 秀久 氏

社会福祉法人恩賜財団済生会熊本病院 名誉院長
一般社団法人 日本クリニカルパス学会 理事長
副島 秀久 氏

 

課題解決の糸口をクリニカルパスに見いだす

医療サービスの質向上は長年の課題であるだけに、多くの困難も付きまといます。日本国内ではすでに 1/3 以上の医療機関に電子カルテシステムが導入されていますが、電子カルテから、患者状態、治療経過、患者アウトカムを経時的・標準的に取得するための仕組みは存在せず、施設や地域をまたいだ患者データの利活用は非常に困難な状況にあります。

ePath プロジェクトの運営委員 (研究リーダー) を務める九州大学病院 教授の中島 直樹氏は、「自然言語で所見が書かれた電子カルテは、医師によって内容や詳しさにばらつきがあります。実施した検査や処方・処置のみを記録して所見が書かれていないものもあるなど、そのままでは解析には向きません」と課題を挙げます。

 

九州大学病院メディカル・インフォメーションセンター 教授(センター長) 一般社団法人日本医療情報学会 代表理事(理事長) 中島 直樹 氏

九州大学病院メディカル・インフォメーションセンター 教授 (センター長)
一般社団法人日本医療情報学会 代表理事 (理事長)
中島 直樹 氏

 

そこで同プロジェクトが注目したのがクリニカルパスです。クリニカルパスは、「患者の状態と診療行為の目標、および評価・記録を含む標準診療計画であり、標準からの偏位 (ずれ) を分析することで医療の質を改善する手法」と定義されています。特に 「アウトカム志向型パス」 は、 OAT ユニットを医療行為の基本単位と定め、その組み合わせにより診療プロセスを構築します。

JAMI元理事長であり ePath プロジェクトの運営委員 (プロマネリード) を務める岡田 美保子氏は、「アウトカム志向型パスは非常に情報化に適した特性をもっており、データ取得を標準化するアプローチにつながっていきます。各医療機関にとって導入しやすい仕組みとして具現化し、そのメリットが理解されれば国際化の可能性も十分にありえると考えています」と訴求します。

 

一般社団法人 医療データ活用基盤整備機構 理事長 岡田 美保子 氏

一般社団法人 医療データ活用基盤整備機構 理事長
岡田 美保子 氏

 

クリニカルパスは入院診療計画書としても保険診療で運用されており、電子カルテ上ですでに広く普及しています。問題は電子カルテシステムのベンダーごとにクリニカルパスの項目や構造などが異なっていることです。このクリニカルパスの構造を標準化することさえできれば、医療におけるデータ活用が大きく前進します。今後の可能性を見据えつつ、中島氏は、医療従事者に急がれる働き方改革にも言及します。「超高齢化社会を迎えた日本は今後ますます患者が増加していきますが、医療従事者の数は増えないでしょう。医療の質の向上を目指すと同時に医療の無駄を省いて効率化し、働き方をも改善していくことが不可欠であり、ePath プロジェクトの成果に大きな期待が寄せられています」と話します。

5 つのワーキング グループのもとでシステム開発を推進

ePath プロジェクトの実現のキーとなるのは、データの標準化でした。電子カルテシステムのベンダー間で相互運用性のある標準クリニカルパスシステムを構築し、複数施設における診療プロセスをアウトカム項目中心に管理できるようにします。加えて複数の施設から収集されるパスデータを蓄積し、日本クリニカルパス学会が開発した患者状態アウトカム用語集 BOM (Basic Outcome Master) を統一用語として利用することで、診療プロセス解析やアウトカム解析を可能とすることを目指しています。同時に、医学系研究の倫理指針に基づいたデータ解析を実施するとともに、次世代医療基盤法に基づいたデータ解析のための準備を進めます。

こうして 2018 年 10 月に 3 年計画でスタートし、折り返し地点を迎えた ePath プロジェクトはいま、経皮的冠動脈形成術、経皮的心筋焼灼術(循環器科)、胸腔(きょうくう)鏡視下肺切除術(呼吸器外科)、ロボット支援前立腺切除術、経尿道的膀胱腫瘍切除術(泌尿器科)、人工股関節手術(整形外科)、内視鏡的胃粘膜下層剥離術(消化器科)、腹腔(ふくくう)鏡補助下大腸切除術(外科)の 8 疾患を選定。そのクリニカルパスについて、アウトカムやアセスメント(観察項目)、タスクの標準化を行ったうえで入力形式や出力形式をそろえ、標準リポジトリーに格納し、さらにこれらのデータを統合して解析するという目標のもと、5 つの WG (ワーキンググループ) に分かれて議論を深めつつシステム開発を進めています。

「パスデータを集める標準リポジトリーを各施設に構築し、可視化機能や出力機能を備えた管理システムを開発するところまでを WG1 ~ WG3 で担当します。これを受けて WG4 がクラウド上に解析基盤を構築してアウトカムを含む診療プロセス解析を行い、さらに WG5 が次世代医療基盤法のもので匿名加工された医療情報の活用を進めていくというのが主な役割分担です」と中島氏は説明します。

 

ePathプロジェクト概要図

 

その役割分担の中で佳境を迎えているのが WG4 の活動です。WG4 の座長を務める徳島大学病院の若田 好史氏は、「WG1 ~ 3 で整備・蓄積されたパスデータに汎用(はんよう)性を持たせ、患者を含めた医療現場にプロフィットとして還元できるか――。この結果しだいで ePath プロジェクト全体の評価が左右されるといって過言ではありません。実際に各施設では順調にデータが蓄積されつつあり、WG4 の活動はまさにこれからが正念場です」と説明します。

 

徳島大学病院 病院情報センター 准教授(副部長) 若田 好史 氏

徳島大学病院 病院情報センター 准教授(副部長)
若田 好史 氏

 

WG4 の副座長を務める九州大学病院の山下 貴範氏は、プロジェクトのスケールに期待を寄せます。「これまでも済生会熊本病院と九州大学病院の間ではパスデータを結合して共同研究を行っていました。ePath プロジェクトでは新たに四国がんセンター病院、NTT東日本関東病院の2施設が加わり、得られるデータ量も格段に増加します。これにより解析の精度も上がり、よりリアルなエビデンスを医療現場にもたらすことが期待できます」(山下氏)。

 

九州大学病院 メディカル・インフォメーションセンター 助教 山下 貴範 氏

九州大学病院 メディカル・インフォメーションセンター 助教
山下 貴範 氏

 

統合基盤には安全性を考慮して Microsoft Azure を選択

WG4 が診療プロセス解析のための統合解析基盤を構築するにあたり、数あるパブリッククラウドの中から採用したのが Microsoft Azure です。選定理由は実績とセキュリティにありました。業界で最も広範なサービスを提供し、クラウドとオンプレミスの双方の環境で共通のプラットフォームや開発ツールを利用できるといったメリットが 1 点目です。セキュリティの観点からは、マイクロソフト自身が「パブリッククラウド事業者のための個人情報保護の規範」を明記し、第三者機関による認証を受けていること。さらに、厚生労働省の「医療情報システムの安全管理に関するガイドライン 第 5 版」(平成 29 年 5 月)、経済産業省の「医療情報を受託管理する情報処理事業者における安全管理ガイドライン」(平成 24 年 10 月)、総務省の「クラウドサービス事業者が医療情報を取り扱う際の安全管理に関するガイドライン 第 1 版」(平成 30 年 7 月) といった、医療機関向け 3 省 3 ガイドラインの要件にすべて対応していることが選定の決め手となりました。

WG4 は、Microsoft Azure をベースにどのような統合解析基盤を目指したのでしょうか。ePathプロジェクトに参画する 4 施設からクリニカルパスデータのほか、DPC に基づく包括医療費、SS – MIX2 仕様に準拠した診療情報などを横断的に集めて Microsoft Azure 上で一元管理し、研究者が解析を行います。さらにその結果を医療現場の医師たちが、Power BI を使ってさまざまな切り口から閲覧するというのがその概要です。

 

ePathプロジェクト 統合解析基盤の概要図

ePathプロジェクト 解析基盤のダッシュボード

ボタン 1 つで誰もが同じレベルの解析を

「この統合解析基盤によって最も大きく変わったのは、データのみならず解析アプリケーションまで共有されるようになったことです。Web 上のボタン 1 つで誰でも同じレベルの解析を行うことができます。これは非常に画期的なことで、データ解析のプロセスからも属人性が排除されます」と山下氏は強調します。

この解析において最も重視しているのが臨床現場での意思決定に関する判断基準です。医師が電子カルテに記載する際に、どんな検査を行ったのか、どんな薬を処方したのかといった履歴は構造化されたデータとして記録されます。しかし、最も重要である患者状態を記録する医師の診察所見は自然言語で記録されているため、これまでさまざまな検査、処置とそれによる患者の状態変化の因果関係を読み解けませんでした。「クリニカルパスデータは患者状態が構造化データとして記録され、さまざまな医療データと組み合わせて複合的に解析することで、それぞれの医師をはじめとする医療従事者の頭の中にしかなかった臨床知識の暗黙知を形式知化し、それらの共有を図っていくのが統合解析基盤による課題解決のあり方です。これが実現することによって、研修医であっても熟練の医師と同じ品質の医療を提供できることが可能になるかもしれません。つまり、医療従事者の教育ツールとしても、この統合解析基盤には期待が集まっています」と若田氏は話します。

WG4 と共に統合解析基盤の構築にあたってきた構築パートナーのパーソルプロセス&テクノロジー システムソリューション事業部 テクノロジーソリューション統括部 NewIT 推進グループのマネジャー 藤田 豊氏は、「それぞれ異なる電子カルテシステムを運用している 4 施設を横断し、さらにクリニカルパス以外にも DPC や SS – MIX2 のデータを組み合わせて解析を行うということで、WG4 の先生と手探りで統合基盤構築に取り組んできました。非常に困難なテーマでしたが、Microsoft Azure で試行錯誤を繰り返しながらデータマートから解析アプリケーションまでワンストップで構築し、複数の研究者が共有できる環境を実現することができました」と振り返ります。

 

パーソルプロセス&テクノロジー株式会社 システムソリューション事業部 テクノロジーソリューション統括部 NewIT 推進グループ マネジャー 藤田 豊 氏

パーソルプロセス&テクノロジー株式会社
システムソリューション事業部 テクノロジーソリューション統括部
NewIT 推進グループ マネジャー
藤田 豊 氏

 

マイクロソフトとしても Microsoft Azure を基盤としたデータベースや解析アプリケーション、機械学習、AI などのテクノロジーを通じて、ヘルスケア業界を支援してきました。日本マイクロソフト パブリックセクター事業本部 医療・製薬営業統括本部 デジタルヘルス推進室長の石川 智之は「今後この統合解析基盤がより多くの病院に広がっていき、全国どこでも同じ医療サービスを受けられるようになれば、日本の医療は大きく変わると思います」と期待を語ります。

 

日本マイクロソフト株式会社 パブリックセクター事業本部 医療 ・ 製薬営業統括本部 デジタルヘルス推進室長 石川 智之

日本マイクロソフト株式会社​
パブリックセクター事業本部 医療 ・ 製薬営業統括本部​
デジタルヘルス推進室長​
石川 智之

 

いまやこの取り組みは 4 施設で運用開始し、データの蓄積が進んでいます。当プロジェクトの価値はこれから明らかになります。「本当に私たち研究班コアメンバーが思い描いたデータが蓄積されているのか、そのデータで十分にたり得るのかについては検証を続けていきます」と、事務局として各種調整を続けてきた中熊氏は成果を意識して状況を説明しました。

 

社会福祉法人恩賜財団済生会熊本病院 ePathプロジェクト プロジェクトマネージャー補佐 中熊 英貴 氏

社会福祉法人恩賜財団済生会熊本病院
ePathプロジェクト プロジェクトマネージャー補佐
中熊 英貴 氏

 

ePath プロジェクトの成果は横展開を通じて影響力を拡大できます。「ひな形として提供したクリニカルパスを各病院で運用し、共通リポジトリーさえ構築すれば、データや解析結果を共有する仕組みを簡単に構築することができます。このメリットに対する理解が進めば、普及は加速的に進むと考えています」と副島氏は、ePath プロジェクトの次のステップを見据えています。